2013年3月21日木曜日

体罰そして本当の教育者は・・・

 おはようございます。
昨日来、マスコミで大分市の市立中学校剣道部でのコーチによる体罰の映像が流れています。これは体罰どころか暴力行為であり、指導を逸脱した感情の制御できない大人の暴行事件であります。再三、すべての体罰=暴力を伴った指導は、健全なモティベーションを疎外すると言ってきましたが、大分県内でこのような行為があり、子供達が傷ついていることに、県民として申し訳ないとおもいました。大分県は、咸宜園の廣瀬淡窓先生をはじめ、福沢諭吉先生を輩出し、教育県としての誇りを持っていましたが、結局失墜させたのは事なかれ主義の公務員感覚の教育委員会であり、学校関係者だと思います。

解決策として今後、学校及び教育委員会にこれからお話する人たちを入れてほしいと思います。

昨日、小雨ふる中、大分県日田市の光岡公民館運営委員会主催の光岡史跡探訪菜の花ウォーキングがありましたので参加しました。これには、光岡地区の防犯パトロールや交通安全協会などをはじめ、多くの地区の方々の協力で実施されたのです。この方々こそ、本当の教育者ではないでしょうか。

せっかくですから、コースをたどりながら、公民館に集まり、出発です、まずは岳林寺に向かいました。

後醍醐天皇の九州で唯一の直轄の寺であります岳林寺です。

岳林寺の境内ですが、古刹の雰囲気がいいですね。

岳林寺内の郷土資料館に展示されている釈迦三尊像と達磨像の掛け軸です。

なぜ、後醍醐天皇は、日田に直轄の寺をつくったのでしょうか。後で書きます。

岳林寺をでて、西へと歩いていきますと片山磨崖種子が道路沿いにあります。。種子とは、梵語(サンスクリット語)で「バン」(お釈迦様)と掘っているものです。約700年前に掘られたものです。

星隈神社の134段の階段を上っていきます。ここには、横穴古墳群があります。

星隈神社をおりて、国道386号線を東へと歩いていきますと、日田市埋蔵文化財センターがあります。


 
日田盆地の北部には、古墳時代初期の環濠集落や豪族居館のあった小迫辻原遺跡、草場遺跡、朝日宮ノ原遺跡、後迫遺跡、吹上遺跡など弥生時代から古墳時代の遺跡が密集しています。

これが、後醍醐天皇が直轄の寺領にした理由があると思っているとわけです。歴史ロモンがあるでしょ。この一帯はすべて、字名は日向(ひむか)名なのです。古代、景行天皇が来られ、ダンワラ遺跡に居をかまえる久津姫にあったことが記述されていますが、景行天皇はなぜ、日田に来たのでしょうか。それはここが先祖の故郷だからです。奈良の明日香村を行ったとき、風景が日田市の吹上、草場、小迫、朝日とにているなとすぐに思いました。

つまり、卑弥呼とは、日向(ひむか)の巫女のことで、女王ですが、日田市のダンワラ遺跡から「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡」が出土しています。これは中国の漢時代のもので、国王クラスしか持つことができません。つまり、卑弥呼に送ったものだと思うのです。(東京国立博物館にて保存)

日田盆地の地形は、古事記に書かれていることと一致します。東に天瀬・馬原(高天原)を擁し、太陽がこの地から登り、古代は湿地帯でしたので、葦が生い茂っていた豊ノ葦原なのです。ダンハラ遺跡は東にあり、日隈(アマテラスオオミカミ)、月隈(ツキヨミノミコト)、星隈(スサノウノカミ)の三丘があります。つまり天孫降臨したのです。

そして、卑弥呼と天照大御神は、同一人物と思いませんか。この地から日本国を平定するため、大和に向かうのです。ダンワラ遺跡は、大和朝廷の九州征伐に伴い、消滅し、歴史から姿を消したのです。ですから、卑弥呼の墓は出てきません。日田盆地が邪馬台国であり、大和に移ったのです。
日向、アマテラスオオミカミ、日田、日の丸、日本、すべてがつくのです。古代に夢をはせながらのウォーキングでした。感謝です。

最後に、光岡駅に、光岡再発見マップの看板があります。これは地元の方々が作ったものです。史跡を子供達に受け継ぎ、残していく地元のおじちゃんやおばちゃんこそ、本当の教育者ではないでしょうか。この人たちを教育委員会に入れないと、庶民感覚、人間の感性が教育に反映されないとおもいませんか。



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